しずさんの日常とロルフメソッドのこと

2012-09-08 18:38:00

”からだからの気づき” で人生を豊かにする!

 
スピリチュアルな世界に興味があって、そういうセミナーに多く参加していた頃、

「魂は身体よりより深いものである。」  とか

「魂を探求するワークは、身体へのワークより崇高である。」という誤解に多く出逢いました。

自分も少なからずそう思っていた時があったようです。


からだは、魂への入り口。確かにそう思います。でも、それは一方通行な見方のように思えます。

いまは、身体と魂は表裏一体で、双方向的で、

魂がからだに現れ、また魂の声は、からだで感じることができる。と言い切ることができます。


そのためには、より繊細な「自分への観察力」が必要になります。

自分を育て、高め、変えていくのは他でもない 自分自身の気づき だと信じています。


そもそも、ヨガの様々な行法は(ポーズ、呼吸法、瞑想法などなど)自分の観察力を高め、より繊細な能力を開発するためにするものだと、
ヨーガ行者の成瀬雅春先生は本や講座の中で言っておられます。

そう成瀬先生から教わった時、自分のヨガをする目的は(やり方はどうであれ)それでよかったのだと納得しました。

肉体をもっている私達には、肉体で感じられるという事がとても有利です。それを活かさないてはありません。

時として、痛みや病気は私達のグラウディング力を高めるために働きます。

些細な変化でも毎日気づいていけたら、痛みや病気には合わなかったかもしれませんが。

ただ、痛みや病気、事故などは大きなメッセージを持っているので、そこから人生を好転させることは可能です。すばらしい変換スイッチでもあります。

もし、困難と思えることに出逢ったらチャンス。「私はこの事から何が学べるのでしょう?」と自分に問いかけ、気づく事でその出来事を成長の糧に変えることができるのです。

私も今までいくつもの出来事に、そうして問いかけて来ました。



自分の魂の声をからだがメッセージで教えてくれている。そうおもったら、どんな事も気づきとして生かすことができます。

それが、ボディワーク(マッサージや筋膜リリースのような)や、ヨガや武道、拳法、気功、瞑想・・・

方法はなんでもよくて、自分の気づきとして行うことができます。

歩いたり、ゆっくり首を回すだけでも、多くのことに気づくでしょう。

自分の生活の中に、そういう時間を少し持ってみると人生がどんどん豊かになっていきます。


最近、気づいていくことが魂の成長になる。ということを筋膜リリースやヨガをする中で、

また、アレクサンダーテクニークの本を読んで実践してみる中で、

ただ歩いたり、座ったりしている時にも感じて

共通のメッセージだったので

今日はこんな事を書きました。






 

2012-08-16 22:19:00

ひとくぎり。そして、まだ成長中。

 
筋膜リリースのアドバンス研修が一区切り終了。でも、実はこれからが始まり。

これから9ヵ月程は、始まりの前の助走期間になりそう。

平行して、春からの気功の学校のSelfも7月末で終了。

こちらは、あまり自宅学習(実習?)できなかったけれど、目標を立てたことが幾つか叶ってきてる。

おもしろいもので、願いは立てないと、立てたのでは結果に大きな違いがでる。

沢山立てた時は、どれから叶うかは、天に任せておく。

願いを立てたときから、それを叶えるのに必要な人や出来事が自分の周りに集まってくる。

私は、自分の枠はずしがまたできた。それを手伝ってくれたのは(本人はそんなつもりはまったくないけれど)、今ままでの私なら、あまり近づかなかったタイプの人。

でも、今思うと、「タイプ」こそ自分の作っている「枠」で、もともとタイプなんて存在しない。

いつでも「問題」は自分の中で起こっている。

人や周りの状況が問題を起こすのではない。問題にするのは自分の責任なのだ。


今、柔らかくなってきたからだと、枠が少しずつなくなってきた感じ方で見てみたいことがある。

一見、相反する物事や考え方から、自分なりに自分の答えを見つけ出すこと。

筋膜リリースは、ある意味からだの歪みがどんどん取れて、本来の自分らしを取り戻していくセッション。それをしながらも、野口晴哉先生が提唱した「体壁」という見方で人を理解しようとする考えを
私は自分のなかでどのように消化できるのか・・・。

9月の気功の学校の体壁講座を楽しみにしている。



2012-05-06 17:49:00

息を吐くこと(からだからの平和探求)

 
私のセッションでは、お客様がゆったり横たわってお休みになっている間

その傍にたたずんでいる時間が度々ある。(特にエサレンのセッションではよくある)

10分にも満たない時間で、手を触れてはいないけれど

私のこころはお客様に寄り添い、こころで手を当てている。

そうして、その場の澄んだ平和な感じを共有するのが私は好きだ。


この、平和な感じはどこからやってくるのかと、今日ふと思った。

深い呼吸により、浮き沈みする背中。

背骨の柔軟な動きが背中を大海原のようにみせている時もある。

ただ、息を吸ったり吐いたりしている、その呼吸の連続が美しい。

静かな呼吸、ゆったりした呼吸から平和な感じがするのだろうか?(それだけではないと思うけど)


息を吸うのは、頑張ればたくさん吸うことは可能だ。

でも、吐くのはがんばるには限界がある。

長くゆっくり吐けると、無理なく自然に吸気できる。吐く息に注目すると、呼吸の深さに気づけるような気がする。

平和な感じや安心感は外から得ることもできるかもしれないけれど、

呼吸を感じることで、いつも自分の中にそれらがあることを知ることができ、体感できる。


人が見たり、手に取ったりできない概念を

実はからだでちゃんと感じて、実感することは可能だと最近確信している。

だから、からだで感じることを信頼してさらに研ぎ澄ましたいと思う。




2011-12-24 23:50:00

解放されたからだに起こること(推測)

 身体の構造統合について調べていたら・・

今年の春参加したエド・モーピン氏のWSの時に、通訳でお世話になったロルファーヒロさんのブログに行き着いた。

そこに、丁度エド・モーピン氏の統合されたからだについて書かれた文が紹介されていて

自分が今一通り筋膜リリースされたからだで感じていることを 現してくれていたので嬉しくなった。

ロルフィングについても、いろいろ書かれているので面白いです。

ヒロさんのブログはこちら




エドは毎朝ワークショップの前に、トーニングとスパイナルエンジンを使って歩く”能 WALK(?)”をみんなでやった。
畳の上をみんなゾロゾロ歩いていていると、エサレンボディワークの岩手でのトレーニングを思いだして楽しかった。


SPINAL ENGIN 背骨の自然な動きによって中心から外側に伝わる動力エンジン。

筋・筋膜が真に解放され、コアから動くことができたときに身体が作り出すエネルギー。


まだ4月の時点では、それが想像の域を出なかったが


今は少しずつ感じられようになりつつある。



エドの個人セッションを受けたとき、私は前日の鞍馬山トレッキングでひどい下肢の筋肉痛だった(涙)

私のセッションは、その筋肉痛を和らげることに、ほとんどの時間が使われた。(もったいない~)


ところが同じく、70歳を超えた(多分)エドも同じく鞍馬山を「スパイナルエンジンで歩くから、大丈夫だよ!」と登っていたらしい。

スパイナルエンジンが使えると、筋肉の無駄な負担がないのねきっと。


筋膜リリースで10回のコースを受けてくださった、モニターさんたちも

10回が終わったらどうなるの?って思っていらっしゃる方も多いと思います。

私も感じている途中なので、お会いした時にまたお話しましょう。


それから・・

エド・モーピン博士が来年また3~4月、来日されるとお知らせが来てました。

詳細は後日UPしますね。

私は、いま学んでいること一つに集中したいので、参加はしません。


今回は初心者向けと、経験者向けに分かれているみたいです。

エドは、熱心な日本の生徒に教えたいと思ってくださってるみたいです。






2011-12-21 23:32:00

新しいからだを育てる



この12月、からだを通した自分の学びの一つの区切りとなった。

かれこれ2年かけて変化してきた筋膜リリースのセッションを10回終え、

また、気功で一年の四季を通したからだの変化を学び、実感できた事で

あたらしいからだとの付き合いを始める事になった。


自分のからだをリセットできるなら、育てなおすことができる。

いま、私はそれを始めたところだ。


いま受け入れらるだけリセットしたからだと感覚を

これから、もっと生きやすい人生を作るために、自分のものにしたいと思う。

感覚やからだは、育てなおすことができる。

これは、大きな希望です。楽しみです。

自分を小さな子供を育てるように、また育ててみる。

そんな楽しみが、この年であるとは思いもしなかった。

からだに起こっている事を丁寧に感じて、自分をそだてる

そういう智恵を得た、宝物の一年でした。

これが、終わりではなく始まりであることがまた嬉しい。




いま、一番の発見はじぶんの足の裏が、ふかふかを通り越して

歩くたびに「にゅるにゅるしてること」

骨は筋肉にくっついて動くものではないんだね。

ジェルの中で骨がゆっくり移動する。ふしぎなんだけど懐かしいかんじ。

子供のころの自由な感じは、この体感からきてたのかもしれない。

そのことを思い出している。



野口体操を考えられた野口三千三さんの著書 「原初生命体としての人間」は

やや難解なところもあるけど、筋膜リリースを受けているときに感じる感覚を

言葉でうまく言い表している部分がおおくて、私にはおもしろい。

野口三千三さんは「からだの主体は脳ではなく体液である」とおっしゃる。

いまの、じぶんのからだでならそれがすごく腑におちる。


人間は、高度に発達し、この地球上を支配している生き物。と私達は勘違いしているが

私達も、生物であり地球上の生き物の一部である事を思い出せる気がする。

今の、このからだからなら。





1 2 3 4 5 6 7 8